躍鯉図
作者 | 狩野探玄 |
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装丁・軸先 | 絹本 鹿の角 |
状態 | 全体的に日焼けあり (画像での確認をお願いします) |
最大幅 | 49.5cm |
長さ | 174cm |
付属品 | 合わせ箱(箱書:筆者不明) |
価格 | 売約済み |
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狩野探玄
没年月日不詳。
別号は仙斎。長州藩のお抱え絵師であった大楽朴水の養子であり、寛延元年(1748)に法橋に叙せられ、長州藩において多くの画業を残している。
菩提寺の過去帳が焼失し、墓も見当たらないので没年月日はわからないが、天明六年(1786)に七十一歳で隠居したことがわかっており、また寛政二年(1790)七十五歳までの作品が残っている。
長州藩狩野派の画家としては最も優れた人で、遺作も比較的多い。(萩市史第三巻より抜粋)
署名に「六十八」とあることから、天明三年(1783)頃の作品と思われます。
長州藩狩野派
長州藩においての狩野派は、元禄十年(1697)に三代藩主毛利吉就が村田平右衛門(後の大楽朴水)を召し抱え、自ら学ぶとともに弟吉広(四代藩主)の師としたことに始まる。
五代藩主毛利吉元もまたこの派を奨励したのでしだいに盛んになり、大楽・吉山・来栖・狩野の四家が雲谷派各家と技を競うこととなった。