高島北海 絵付け菓子鉢
絵付け | 高島北海 |
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状態 | 無傷完品 |
最大幅 | 22.3cm |
高さ | 6.8cm |
付属品 | 共箱 |
価格 | ¥49,500 |
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萩焼のなかで絵付けが施されている物を「絵萩」と呼ばれます。現代では若くして亡くなった、十二代坂高麗左衛門の色鮮やかな作品も絵萩のひとつです。
この器に描かれているのは杜鵑(ホトトギス)の花。「長門峡杜鵑花 北海写」とあることから、山口県の名勝長門峡でスケッチしたホトトギスを描いたのではないかと思われます。
この商品の絵の下地として用いられている器は、泉流山吉賀大雅窯(大正十四年操業)で焼かれた物で、吉賀大雅窯は現在の泉流山吉賀大眉窯のことです。吉賀大雅は現代作家として名高い吉賀大眉氏の父親であり、またその職長には名人として知られる山県麗秀が在籍していました。
器の裏に押されている楕円の萩焼印は、この窯の窯印になります。
高島北海
嘉永三年(1850)-昭和六年(1931)
幼少より絵を描くことを好み、長州藩の画家大庭学僊に学ぶ。明治新政府の工部省技官となり、地質学・植物学の深い造詣を基礎とし、南画に写生の技法を加えた新しい山岳風景画を描いた。
フランスのナンシーに林業を学ぶため留学していた北海は、エミール・ガレに代表されるアールヌーヴォーの芸術家たちに多大な影響を与えたといわれている。ナンシー派美術館には今でも、高島北海のレリーフが飾られている。
47歳で公職を辞して隠棲し、52歳で「北海」と号して中央画壇で本格的な活動を始める。大正十二年(1923)、関東大震災を機に長府に戻り、図画教師の傍ら画業を続けながら長門峡など山口県の名勝地を開発、紹介することに努めた。