十二代 坂倉新兵衛 萩菊形香炉
作者 | 十二代 坂倉新兵衛 |
---|---|
状態 | 蓋裏に、煙が染み込んだ汚れあり。 その他にキズや汚れはなし。 |
縦幅 |
約11cm |
横幅 |
約11cm |
高さ |
約8cm |
刻銘 | 「新兵衛」の丸印 |
付属品 | 共箱 |
価格 | ¥44,000 |
商品やお値段などのご質問、お問い合わせは、下記にて受け付けております。
℡.0838-22-0987
✉hououdou@aurora.ocn.ne.jp
部屋に入ると良い香りが漂ってくる。「この匂いはなんだろう」と、鼻をひくつかせながら匂いの元を辿ると、床の間の香炉が眼に入った。
菊の華の形をしていて堂々と腰が張り、胴体の丸みは小さな高台を目指してキュッと締まっている。
造形と、萩焼独特の柔和な釉調が相まって、香炉は優美であり気品に満ちていた。共蓋の七宝繋ぎも見事な出来栄えで、寸分の狂いもない。
香りと香炉のもてなしに、ご亭主の粋なはからいが見えた。鼻と眼を楽しませてもらった私は席について、この感動を表現できる言葉を探した。
間もなく戸を開けて入室する亭主に、心からの謝意を伝えるためである。
十二代 坂倉新兵衛
十一代坂倉新兵衛の長男として生まれる。九代坂高麗左衛門に師事し、また杉民治や表千家惺斎宗左、即中斎宗左に茶道を学ぶ。
明治期に入り、藩の庇護を受けられなくなった萩焼は急速に衰退し、多くの窯が廃業するなか、十代三輪休雪と共に萩焼振興に尽力して大きな業績を残している。
萩焼中興の祖と呼ばれる一方、その作行は茶の湯との結びつきを強め、茶陶萩のブランドイメージを確立した。
その技術は萩焼の歴史のなかで一・二を争い、名人中の名人と言っても差しつかえないほどである。
1881年(明治14) 十一代坂倉新兵衛の長男として生まれる。幼名平吉。
1897年(明治30) 十二代坂倉新兵衛を襲名。
1898年(明治31) 九代坂高麗左衛門に萩焼を学び、家業を復興。
1948年(昭和23) 萩焼美術陶芸協会会長に就任。
1957年(昭和32) 選択無形文化財保持者。
1960年(昭和35) 12月3日、79歳で死去。