ブログ一覧

柳生心眼流體術・柳生新陰流兵法①[2018/11/2]

 柳生心眼流體術とは、起源を求めれば江戸初期に、荒木又右衛門という人物を流祖として成立した、いわゆる古武道というものです。新陰流は時代劇などでも有名な剣術の流派であり、徳川将軍家御流儀となったことでも有名で、間合いを特に重視した、精妙な剣の遣い方を伝えています。

 縁あって、この二流を修められている甲斐先生と出会ったのが、10年以上前。先生は広島にお住まいであり、僕は萩市から片道3~4時間かけて稽古に通い続けています。

 心眼流には棒術、柔術、大太刀があり、画像は棒術の稽古の様子です。長さ六尺(約180cm)の樫の棒を互いに持ち、表十本、裏十本の型を行います。当流では剣道や柔道のような試合形式のものは一切なく、稽古は常に型を繰り返して行われます。
 大太刀は直径6㎝、長さ136cmほどもある木刀を使って、「体を練る」ことに主眼を置いた修練内容となっています。この木刀が非常に重く、先生は常に「腕の力ではなく、丹田をつかう」ことが肝要だと仰られています。

 柔術は最も難しく、「柔をよく剛を制す」ものでなければなりません。これは合戦場で互いに鎧を着た状態で戦うことを想定した「甲冑取り」を元に生まれ、大まかにいえば押してくる相手の力を利用して技にかけ、最小の力で敵を倒すことを目的とした技術だからです。
 剣術である新陰流の稽古は、竹刀を持って行われます。竹刀は剣道で使うようなものではなく、先を割った竹に革袋をかぶせた袋竹刀です。これも奥が深いもので、まず初めに教わる基本の型「一刀両断」。これができれば免許皆伝だと言われています。長くなるので詳しい説明は省きますが、要は基本こそ奥義であり、最も大事、ということがその意味のひとつです。

 古武道は本当に奥が深く、技ひとつとってもとてもよく考えられていて、昔の人の知恵に驚かされることもしばしばです。10年以上稽古に通っていますが、まだまだ素人の域をでない程度。覚えも悪いので、これからもがんばって稽古に通っていきたいと思います。

2023年08月10日

緑庵の茶会[2018/11/12]

 毎月10日に山口市の野田神社で、「緑庵」の茶会が催されています。↓は茶室「緑庵」の写真です。

 残念ながら内部を撮るのは憚られたので、外の写真だけです。
今回は周南市のお茶の先生が釜をかけられました。なんでも、前日から泊まり込みで準備をなされたとか。濃茶席ではお汁粉をいただき、おいしいお抹茶を頂戴しました。また薄茶席では、今回の亭主である先生のご主人が立礼でお点前を披露され、こちらでもおいしいお茶を、二服もいただくことができました。

 緑庵の茶会は持ち回りで、月ごとに席主が変わるので、毎回いろんな方がそれぞれの想いを元に、様々な趣向を凝らした茶会をされています。またお道具も色々なものを拝見させていただけるので、商売においてもとても参考になりました。

 次回は12月10日。仕事が入らなければまた行こうと思っています。
 そして11月ということで、普段のお稽古でも炉の季節になりました。僕は炭点前をさせていただきました。が、やはりほとんど忘れていてグダグダでした。次のお稽古までに炭の練習をしておこうと思います。

2023年08月11日

結び柳と蓬莱飾り[2019/1/17]

 明けましておめでとうございます。本年も精進を重ね、皆さまのご期待に添えられるよう努力いたしますので、今年も旧年中と変わらむご愛顧をお願いいたします。

 今日は結び柳と蓬莱飾りのお話です。毎月10日に山口市の野田神社で、茶室『緑庵』においてお茶会が開かれるのですが、今年もさっそく行ってきました。
 新年最初のお茶会ということで、床の間に飾られていたのが結び柳と蓬莱飾り。この時期にしかお目にかかれないないものなので、興味を覚えて調べてみました。

 結び柳は長くしなやかな柳の束を真ん中で結び、輪にしたものです。調べてみると、丸く結ぶのは円満、平和、生命を表すためであり、柳は長く垂れているほど縁起が良いといわれています。また、新年と旧年を結ぶという意味も込められています。そもそも、お茶の席に柳を用いたのは千利休といわれています。中国の唐の故事に倣って、利休が送別の花として柳を入れたのが最初ではないかとされています。

 蓬莱飾りは木地の飾り台に奉書を敷き、お米を一升半山盛りに盛って炭を置き、昆布や串柿、伊勢海老の飾りなどを乗せたものです。四隅には小皿を置いて、海のもの(昆布、ごまめ)、山のもの(小梅、長老喜)を飾ります。初めにお米を一升半盛るのは、一生繁盛するように、と縁起をかつぐ意味が込められているためであり、その他に積み上げた食べ物にもそれぞれ意味があります。

 蓬莱飾りの由来について様々あり、関西に伝わるものでは、東の海を越えた先にあるという『蓬莱山』を表現したものであるといわれています。
『蓬莱に 聞かばや伊勢の 初便り』
この句は松尾芭蕉が蓬莱飾りを眼にしたときに詠んだ句です。昔から祈りを込めて縁起物を供え、新しい年を迎えていたことがわかります。

2023年08月12日

柳生心眼流體術・柳生新陰流兵法②[2019/4/5]

 以前、このブログで僕が教わっている古武道について簡単に説明しました。  多くの反響やお問い合わせをいただき、この度、さらに詳しい解説のために、当流の案内を掲載することにしました。

 心眼流は棒術・柔術・大太刀を伝え、新陰流では剣術を教わることができます。

 新陰流はあまりに有名で、現在でもこの流派を教授するという団体、または個人がいたる所にいるようですが、特に本物の新陰流を知りたいという方は、掲載した案内の電話番号にお電話ください。

2023年08月13日

古美術覚え書き「古萩」①[2019/7/13]

 山口県萩市という土地柄、当店でもっとも取り扱う機会が多いのが、地元の名産品萩焼になります。萩焼の歴史は古く、その祖をたどれば豊臣秀吉の文禄の役に遡ります。この戦で、朝鮮人陶工『李勺光』は虜となり、毛利輝元に預けられ、萩の松本の地で窯を開くことを命じられます。のちに李勺光は、弟を朝鮮半島より呼び寄せ、この弟の『李敬』が『坂高麗左衛門』に任じられ、現在でも続く萩焼の名門として名を残しています。(諸説あります)

 一楽二萩三唐津と称されるように、萩焼は茶陶の名陶として有名で、多くの茶会でその器を目にする機会があります。有名なものでは十代、十一代三輪休雪の人間国宝のもの、坂高麗左衛門、坂倉新兵衛、田原陶兵衛などが特に好まれるようです。しかし、お茶人はもとより、お茶を嗜むことのない数寄者やコレクターの方たちが最も欲してやまないのが『古萩』と呼ばれる伝世の萩焼です。

 古萩は希少価値が高く、また時代が味付けとなってなんともいえない風格があり、人によっては「古萩こそ萩焼の最上格」と主張されます。当店でも、よく「古萩はないか」と問い合わせを受けることがありますが、時代を経ているために残されている作品は少なく、運良く残っていても、キズがあるものがほとんどというのが常識です。
では『古萩』というものはどういうものか、このブログで少し解説していきたいと思います。

1.茶碗
萩焼といえば茶陶ですから、古萩においても最も格が高く、希少なのがお茶碗となります。
 文禄・慶長の役は焼きもの戦争とも呼ばれ、多くの戦国大名が朝鮮人陶工を連れ帰ったことで有名となっています。なんのために連れ帰ったのか、それは自分の領地で陶磁器を焼かせるためでした。当時は茶の湯が流行しており、朝鮮半島で焼かれる『高麗焼』は茶人たちの憧れでした。わざわざ絵入りの文書を送って「こういう茶碗を作ってくれ」と注文するほどであり、そのために大名たちは陶工を欲したのです。

 茶陶萩のスタートはここからになりますが、この時代のもののみをかつては古萩と称していました。つまり、坂高麗左衛門の初代から三代あたりまで(享保時代まで)に作られたものをいいます。しかしこれは江戸時代頃の考え方であって、時代が進み、昭和頃になると「古萩は江戸中期まで」とやや幅が広がります。現在でもこの考え方が主流となっています。
 もっとも、人によっては「江戸後期までが古萩」と主張する方もいます。最近では、美術館において江戸末期のものも古萩として展示されていましたので、江戸時代のものであれば、古萩と呼んでも差し支えないのではないでしょうか。
……②へ続く。

2023年08月14日

古美術覚え書き「古萩」②[2019/7/28]

 どの時代までの萩焼を古萩とみなすか、これはなかなか難しい問題です。考え方は人それぞれなので、自分は茶碗そのものと相談して決めることにしています。つまり、古萩としては新しい方、江戸後期頃の作品であっても、古萩として呼ぶにふさわしい出来上がり、風格と気品を持つ物に関しては、古萩と鑑定することがあるということです。

 実を言うとその逆もあって、時代が古い物であっても、茶碗自体の出来が悪い物は古萩とは呼ばないようにしています。というのも、江戸後期になると萩の市中では、藩の御用以外は禁制になっていた「濃茶茶碗」に紛らわしい茶碗が、盛んに売買されていたことがわかっており、つまりこの時代すでに「偽物」が流通していたことがわかっているからです。
 そのために、藩では文化12年に、濃茶茶碗に似せた茶碗の製造を禁止する法令を出しています。同時に大道土の民間での使用も禁止されました。この「偽物」、江戸後期の物とはいえ、現代から遡ること約200年前に作られた物なので、茶碗自体に古さがあり、時代の推定がとても難しくなっています。なので、古萩を鑑定するときは時代や土だけではなく、作品自体の出来がとても重要となってくるわけです。

 古萩の鑑定において、もうひとつ気をつけねばならないのが、識箱の存在です。今でこそ茶碗には専用の箱が付き、作者の署名や時には銘も墨書きされますが、当時、このような習慣はありませんでした。
 なので、古萩は箱なしの状態で発見されるものがほとんどで、これに新しい箱を仕立てて、坂窯などの名門に鑑定を依頼された物も多く見られます。そして古萩と鑑定され、箱にその鑑定結果が書かれるわけですが、そういった識箱のついた茶碗の中にも、かなりの数で首をひねりたくなる物が存在します。
 これは今では知る人も少なくなった話ですが、かつて十一代坂高麗左衛門の時代に、「偽坂高麗左衛門」と呼ばれた人物がいて、彼は十一代高麗左衛門とよく似た字で、古萩の偽物に箱書きをつけていた、ということがあったのです。
……③へ続く。

2023年08月15日

古美術覚え書き「古萩」③[2019/8/12]

 まとめとして、古萩の茶碗は希少であり、現存するものはほとんどが美術館か、個人のコレクターが所有している。また、古い物なのでキズや直しがあって当たり前であり、共箱というものがなく、無傷のものは数えるほどしかない。そして偽物が多く、後世に作られた識箱がついていても鑑定の決め手とはならない。

 古萩の鑑定は、知識も必要ですが、それよりも経験が重要です。とはいえ、眼で見ただけではなく、数多くの古作に直接触れなければ、経験を積むことは不可能といえるでしょう。

2.置物・細工物
 古萩というカテゴリーにおいて、茶碗に次いで人気があるのが置物です(細工物ともいう)。

 江戸時代において、萩焼の茶碗は藩の管理下にあり、大名や公家、豪商への贈答品として重宝されていたために、特に希少性が高く、現代では滅多に世に出ることはありません。しかし置物は、茶碗に比べて現存する数が多く、またバリエーションも豊富なために、置物に関しては藩の規制が緩く、おそらく、豪商などの注文に応じて製作を行っていたのではないかと思われます。

 とはいえ、希少な物であることにはかわりなく、また置物にも偽物が存在することから、本物の古萩の置物は、現代でもとても高価となっています。
 萩焼の歴史において、置物の製作が活発になるのは江戸中期以降、江戸後期頃となります。この頃、三輪窯に六代喜楽と七代雪がいて、二人は細工物の名人として名高く、彫り銘のある伝世品も残っています。

 置物には稀に、この彫り銘のある作品がいくつか伝わっていて、なかでも、製作者の名前と製作年が記されている物は、萩焼歴史において年代を判別するのに大きく貢献しています。
 現在伝わっている置物の製作年代は、いずれも江戸後期頃のものであり、それ以前の物は見つかっていません。萩焼の元となった高麗焼の技術のなかに置物制作はなく、おそらく萩の地で焼き物が焼かれるようになった当初は、置物は製作されていなかったと思われます。

 寛文三年、長州藩に新たなお雇い焼物師として、初代三輪休雪が召し抱えられました。置物製作はおそらく、この辺りから始まったのではないかと思われます。その理由として初代三輪休雪は藩命により、京都の楽家に修業に入っていたことが挙げられます。

 楽家では手びねりによる楽焼づくりを行っており、早くから置物や香炉の製作を行っていました。楽焼は茶碗も置物も紐づくりであり、技術的な共通性があります。つまり、萩焼に置物づくりを導入したのは、この楽家で修業した三輪休雪であったと思われるのです。
……④へ続く。

2023年08月16日

親と子の宮島演武[2019/8/18]

 毎年夏になると、広島県は宮島の厳島神社で『親と子の宮島演武会』が開催されます。僕たち柳生心眼流廿日市支部は、今年もこの演武会に参加させていただきました。
演武は各流派8分の中で、日頃の鍛錬の成果を厳島の神に披露するというものであり、とても厳粛な雰囲気で行われました。

 僕は棒術の基本となる表棒と、剣術の基本である三学円の太刀をさせていただき、残りの裏棒、剣術の九箇、柔術は別の地方からこの日のために来ていただいた、若い方にお願いしました。 若いとはいえ、この道に入門してかなり長いらしく、僕は彼らの動きを見て勉強させていただきました。彼らの動きには迫力があり、その熟達ぶりには舌を巻くほどです。おかげで、もっと修業せねばと初心にかえることができました。

 こちらは他流の演武の様子です。普段見ることができない他流派の技を拝見できるのも、演武会のありがたいところです。数多くの流派が今年も参加し、地元の高校生による薙刀も披露されました。 親と子の演武会というだけあり、小さな子供の参加がとても多く、これは大会を主催されている方たちの想いによるところが大きいです。古武道は日本の伝統技法を伝えるものであり、これからの若い世代に受け継いでもらいたい、そういう想いがあるのだと聞いています。

 今年の演武会も無事終了し、来年は8月23日開催予定となりました。来年も山口県から駆けつけたいと思っています。

 今年は大鳥居が補修工事中だったので、来年は綺麗になった鳥居を間近で見たいものです

2023年08月17日

古美術覚え書き「古萩」④[2019/12/06]

 この楽焼修業により、萩における三輪家の位置が確立されました。そのことを示す資料として、「長州楽焼師 三輪勘七」と書かれた箱書きがあり、三輪家は楽焼御用の家となったと思われます。さらに四代三輪休雪も同じく楽家に修業に行っており、長州楽焼師としての活動がうかがえます。

 しかし不思議なのが、三輪休雪作の楽焼は現存数があまりに少なく、茶碗そして、楽焼の釉薬が施された置物は数えるほどしかありません。古萩は箱書きがないものがほとんどですから、おそらく長い歴史の中で、人知れず廃棄されてしまったのでしょう。惜しいことです。

 江戸後期になると、三輪家は置物づくりに頭角をあらわすことになります。三輪家の置物の特徴として、造形の確かさがまず挙げられます。
 例えば、人物を模した置物でいえば、まず顔に表情があり、額のしわ、開いた口からのぞく歯と舌、頬の動きといった顔の表情が非常にリアルに作られており、他にも衣服の衣文線、獅子の置物であれば筋肉の表現などが見られます。

 三輪窯の置物には総じてしまりがあり、細部にわたって手抜かりのない仕事振りが見てとれます。また土の配合や練り具合も研究し尽くされていて、この福禄寿置物のような大きい作例であっても、焼成中に歪みを生じさせずに、造形を保ったまましっかりと焼きあがっています。

 これらのような置物は、萩やその周辺の町に残っている旧家の床の間に飾られていることがあります。そのため、古萩茶碗でも触れましたが、置物もやはりキズがあるものがほとんどです。上画像の寿老置物は無傷ですが、このようなものは非常に稀であり、キズや直しがあるものは、その場所と数によって評価が変動します。具体的には、顔やその周辺のキズは評価を大きく下げ、また手や足などの重要な部位が欠けたものも評価が下がってしまうのです。

3.坂家、三輪家以外の古萩について
 余談として、坂、三輪以外の萩焼について紹介します。ここに挙げる陶工は、知る人ぞ知る名工として伝えられたものです。

『井上武兵衛』井上武兵衛は本来陶工ではなく、武家であり長州藩士です。その初代「井上武兵衛親明」は享保五年に絵図方頭人として役職についており、余技として「土偶」を作ることが巧みであったと伝えられています。
 祖母の話では、土偶とは、窯を用いず地面に穴を掘り、そこに置物をいれて焼いたものであり、これを「土偶焼」と称していたといいますが、これは伝え聞いたものであり資料がなく、確実であると言えません。

 しかし井上武兵衛銘のある置物の中に、明らかに一般的な古萩置物と異なる焼きの置物があり、それは祖母の言うように、製法の違いを感じさせるものがあります。井上武兵衛は親明のあと、代々武兵衛を名乗り、このあと明良、政知、親則と続きます。

 この他にも名工でありながら、時代に埋もれた陶工がいますが、古萩の話はここでいったん締め、またいずれ、別の機会にでも語りたいと思います。

2023年08月18日

令和2年初釜茶会[2020/1/20]

 新年あけましておめでとうございます。年も改まり心機一転、初心にかえったつもりで今年も商売に打ち込んでまいりたいと思います。今年もよろしくお願いいたします。
今年は冬とは思えない暖かさで、寒さに弱い僕としてはありがたいかぎりです。おかげで雪も降らず、安心して車を運転できます。そう、毎年この時期に開かれる、初釜に今年も行ってまいりました。

 場所は例年通り、長門市湯本にある大谷山荘。この時はいつも雪が心配なので、今年は本当に助かりました。
 受付を済ませると、まずは濃茶席に通されます。今年は真台子が用意されていて、床には鵬雲斎大宗匠筆の「松聲無古今」。そして立派な蓬莱飾りに結び柳。床柱には白い椿と紅い梅が竹の花入に添えられていました。
たいへん素晴らしいお席だったのですが、ひとつ問題が。なんの因果か、僕が正客を務めることになってしまいました。男性であるために、ぜひにと頼まれ、断れずに新年早々、初めてのことに挑戦です。内心冷や汗もので、いま思い返してみると、自分がなにを喋ったのかよく覚えていません(笑)。しかし、半東を務められていた長門の先生に助けられ、どうにか乗り切ることができたと思います。とてもいい経験ができました。

 今回のように正客を頼まれることが、またこれからもあるかもしれません。そういう年齢になった、ということなのかもしれませんね。色々なお茶会に出た時、これからはもっと正客さんの話し方に気を配って、また正客に座るときは粗相のないようにしたい、と思いました。

2023年08月19日

古美術覚え書き「萩ガラス」[2020/10/25]

 かつて長州藩が、殖産振興の一環として、硝子製造に着手していたことをご存知でしょうか。幕末の硝子といえば「薩摩切り子」や「江戸切り子」などが有名ですが、万延元年(1860)に長州藩でも硝子製造が開始されています。今回はその「萩ガラス」の歴史をまとめてみたいと思います。

 萩八丁南園(現在は自動車教習所となっているあたり)に、硝子製造所が築かれたのが万延元年(1860)。江戸より切り子職人西宮留次郎、そしてその弟子である長蔵を招いて、硝子製造は開始されました。

 この初期に製造された硝子器は、鉛を多く含み、また水晶石と呼ばれる石英を砕いた粉、珪砂を原料としているために透明度が高く、他藩製品と比べても優品であったとされ、特に珍重されていたようです。
 鉛を多く含むガラスは、現代では「クリスタルガラス」と呼ばれ、ワイングラスやシャンパングラスなどに用いられることの多い、高級品です。指で弾くと「キーン」という高く澄んだ音が鳴り、一般に壊れやすく、キズつきやすいといわれています。

 これらの硝子は朝廷や公家への献上品、家臣への下賜品や他藩への贈答用品としても用いられていました。あの高杉晋作も萩ガラスを愛用していたようで、彼の遺品としてグラスが残されています(東行庵所蔵)。また製品の販売は町人の太田嘉七が行ったとあり、一般にも流通していたことがわかります。

 文久3年(1863)、この頃からさらなる改良を加えた萩ガラスが生産されるようになりました。鉛を減らし、海藻灰汁(炭酸ナトリウム)などの配合を工夫して、透明度はそのままに、強度を高めることに念頭をおいた、改良型萩ガラスの誕生です。しかも鉛の含有量を抑えることで、コストの削減にも成功しています。
 これは単に生産性の向上を目指しただけではなく、当時需要が高まっていた船用の板ガラス、明りとり用ガラスの生産を視野に入れた改良だったようです。

 しかし順調に製造が続いていた慶應2年(1866)4月1日、夜中に発生した火災のために硝子製造所は全焼し、この後、同地で再建されたという記録もなく、同年5月、硝子製造は町人太田嘉七に申し渡されることとなりました。萩ガラスには型吹きによる粗悪な量産品もあり、これはこの時期に製造されていた可能性があります。火災が起こる前から製造所で作っていたものか、あるいは太田嘉七が質を落として、大衆に広く流通させようと考えたものかはわかりませんが、いずれにせよこれ以降、萩ガラスに関する記録は少なくなり、ついに歴史に埋もれることとなりました。

 現在では萩市越ケ浜にある、有限会社「萩ガラス工房」が、その技術の復元に挑戦されています。こちらの工房でも日々、品質の良いガラスが生み出されていますので、萩にお越しの際は、ぜひ立寄ってみられることをおすすめします。

2023年08月20日

古美術覚え書き「奥谷秋石」[2022/5/1]

 茶道裏千家十四代碩叟宗室 淡々斎は無限斎とも呼ばれ、茶の湯を海外に普及させるなど、非常に活力に満ちた人物であったようです。また多彩な才能を持っていたようで、能や唄を良くし、和歌を詠み、書画にも長けていたと伝わっています。

 奥谷秋石はその淡々斎の絵の師であり、大阪出身で京都画壇に重きをなした、実力派の画家でした。師は長州藩出身の森寛斎。円山応挙を祖とする、円山四条派の画法を習得しています。

 その画風は均整のとれた写生的表現と、そのモチーフを包む空間の情緒的表現を融合させたもので、秋石はその技法を多くの門人に伝えています。
 また、秋石は上述の裏千家お家元淡々斎の絵の師であった縁からか、「茶掛け作家」と呼ばれていたようで、茶の湯に適う作品を多く遺している可能性があります。

 「茶会における、待合いの掛物」知り合いのお茶人によく訊ねられるのが、待合い掛けに良い掛軸があるか、という質問です。絵画は茶道具とはいえませんが、茶会において必要なものであることは確かです。茶道具ではないので、これを選ぶにはまた別の知識や感性が必要になるので、骨董を扱う私に訊ねられるのは当然と思います。

 しかし、正直言ってこれが難しい。山河を描いた山水画などは良く市場にも出ますが、待合い掛けにできそうな、ひとつのモチーフに絞ったもの(花や月、鳥獣など)は案外出てこないのです。

 おそらく、山水は人気のあるモチーフで、好まれていたために多く出回っているのだろうと思うのですが、たまに山水画以外のものがあっても、作家がわからない、わかっても別の地域の作家(住んでいる地域とは別の地域の作家のものはあまり好まれない)と、なかなか条件に合うものに巡り合えるのは、稀なことといえるのです。

 しかしそういった縁を大事にする人に、最良の出会いをもたらすことができるのが、物を売る人間の喜びであると思います。

2023年08月21日

萩焼まつり[2023/9/10]

 2023年5月1日~5月5日にかけて、地元の特産品である萩焼を扱う大きなイベント、「萩焼まつり」が開催されました。

 第30回となる今回は、コロナ禍を乗り越え、久しぶりの通常開催となりました。特設会場である萩市民館、萩・明倫学舎においては、過去最高となる約3000人の来場者を迎え、たいへんな賑わいとなり、萩焼の人気を改めて思い知らされた、そんな思いです。

 なかでも、県外からの来場者が多く、なかには台湾から来て、熱心に品定めをする集団も見受けられました。なにをそんなに一生懸命見ているのか、気になってこっそり見てみると…どうやら盃やぐい呑といった酒器を探しているようで、それらを手に取っては仲間たちと中国語でなにやら話し込んでいます。

 昨今は海外で日本ブームが起こっているらしく、中国や台湾、韓国や東南アジアなどでも、日本の商品が人気だそうです。TVのニュースで見た話では、贈答品としてもらったものの、使うわけでもなく、捨てるに捨てられない陶磁器やガラス製品などが、東南アジアののみの市で人気なんだとか。海外の方にも是非萩焼を使ってみてもらいたいものです。

 次回の萩焼まつりは2023年10月7日~9日に、田町の商店街で開催されます。キッチンカーなどの出店もあるようなので、僕も時間があれば行ってみようと思っています。

 

2023年09月10日