十二代 坂倉新兵衛 萩枇杷色茶碗

作者 十二代 坂倉新兵衛
状態 ヒビ、割れ、欠けなどはなし
内側に二か所、石爆ぜの痕あり
刻銘 「新兵衛」の丸印
縦幅 約13.2cm
横幅 約13.2cm
高さ 約8.5cm
付属品 共箱
価格 ¥100,000

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 このお茶碗はなんといっても立ち姿が良く、穏やかな枇杷色の釉薬と調和して気品のある焼きあがりとなっています。
 作者の十二代坂倉新兵衛は、萩焼の歴史に残る名人であり、このお茶碗にもその卓越した技術が随所に見て取れます。

 口辺は広くゆったりとしているのに、胴から腰部にかけてすぼまっていて、腰部はヘラ掛けによってさらに絞られ、高台に向かって一気に収束しています。
 高台に一箇所入れらえた切れ込みは切り高台と呼ばれるもので、この高台が本作品にとても良く合っています。

 お茶碗を覗き込んでみると、底に二か所の石爆ぜ痕があり、夜空に瞬くふたつの星のようにも見えて、これもまた見所となっています。(画像緑〇の部分)

 石爆ぜ痕から器の素地が見えていますが、水が漏るようなことはなく、そのままお使いいただけます。
 萩焼は伝統的に小石混じりの土を使うことが多々あり、その小石が焼成中に熱せられてはじけ飛ぶことを「石爆ぜ」と呼びます。石爆ぜ痕は古くから茶碗の見所のひとつとして賞玩され、景色としてお楽しみいただけるものです。

十二代 坂倉新兵衛

 十一代坂倉新兵衛の長男として生まれる。九代坂高麗左衛門に師事し、また杉民治や表千家惺斎宗左、即中斎宗左に茶道を学ぶ。

 明治期に入り、藩の庇護を受けられなくなった萩焼は急速に衰退し、多くの窯が廃業するなか十代三輪休雪と共に萩焼振興に尽力して大きな業績を残している。

 萩焼中興の祖と呼ばれる一方、その作行は茶の湯との結びつきを強め、茶陶萩のブランドイメージを確立した。その技術は萩焼の歴史のなかで一・二を争い、名人中の名人と言っても差しつかえないほどである。

1881年(明治14) 十一代坂倉新兵衛の長男として生まれる。幼名平吉。
1897年(明治30) 十二代坂倉新兵衛を襲名。
1898年(明治31) 九代坂高麗左衛門に萩焼を学び、家業を復興。
1948年(昭和23) 萩焼美術陶芸協会会長に就任。
1957年(昭和32) 選択無形文化財保持者。1960年(昭和35) 12月3日、79歳で死去。