古美術覚え書き「古萩」③[2019/8/12]

 まとめとして、古萩の茶碗は希少であり、現存するものはほとんどが美術館か、個人のコレクターが所有している。また、古い物なのでキズや直しがあって当たり前であり、共箱というものがなく、無傷のものは数えるほどしかない。そして偽物が多く、後世に作られた識箱がついていても鑑定の決め手とはならない。

 古萩の鑑定は、知識も必要ですが、それよりも経験が重要です。とはいえ、眼で見ただけではなく、数多くの古作に直接触れなければ、経験を積むことは不可能といえるでしょう。

2.置物・細工物
 古萩というカテゴリーにおいて、茶碗に次いで人気があるのが置物です(細工物ともいう)。

 江戸時代において、萩焼の茶碗は藩の管理下にあり、大名や公家、豪商への贈答品として重宝されていたために、特に希少性が高く、現代では滅多に世に出ることはありません。しかし置物は、茶碗に比べて現存する数が多く、またバリエーションも豊富なために、置物に関しては藩の規制が緩く、おそらく、豪商などの注文に応じて製作を行っていたのではないかと思われます。

 とはいえ、希少な物であることにはかわりなく、また置物にも偽物が存在することから、本物の古萩の置物は、現代でもとても高価となっています。
 萩焼の歴史において、置物の製作が活発になるのは江戸中期以降、江戸後期頃となります。この頃、三輪窯に六代喜楽と七代雪がいて、二人は細工物の名人として名高く、彫り銘のある伝世品も残っています。

 置物には稀に、この彫り銘のある作品がいくつか伝わっていて、なかでも、製作者の名前と製作年が記されている物は、萩焼歴史において年代を判別するのに大きく貢献しています。
 現在伝わっている置物の製作年代は、いずれも江戸後期頃のものであり、それ以前の物は見つかっていません。萩焼の元となった高麗焼の技術のなかに置物制作はなく、おそらく萩の地で焼き物が焼かれるようになった当初は、置物は製作されていなかったと思われます。

 寛文三年、長州藩に新たなお雇い焼物師として、初代三輪休雪が召し抱えられました。置物製作はおそらく、この辺りから始まったのではないかと思われます。その理由として初代三輪休雪は藩命により、京都の楽家に修業に入っていたことが挙げられます。

 楽家では手びねりによる楽焼づくりを行っており、早くから置物や香炉の製作を行っていました。楽焼は茶碗も置物も紐づくりであり、技術的な共通性があります。つまり、萩焼に置物づくりを導入したのは、この楽家で修業した三輪休雪であったと思われるのです。
……④へ続く。

2023年08月16日