古美術覚え書き「古萩」②[2019/7/28]

 どの時代までの萩焼を古萩とみなすか、これはなかなか難しい問題です。考え方は人それぞれなので、自分は茶碗そのものと相談して決めることにしています。つまり、古萩としては新しい方、江戸後期頃の作品であっても、古萩として呼ぶにふさわしい出来上がり、風格と気品を持つ物に関しては、古萩と鑑定することがあるということです。

 実を言うとその逆もあって、時代が古い物であっても、茶碗自体の出来が悪い物は古萩とは呼ばないようにしています。というのも、江戸後期になると萩の市中では、藩の御用以外は禁制になっていた「濃茶茶碗」に紛らわしい茶碗が、盛んに売買されていたことがわかっており、つまりこの時代すでに「偽物」が流通していたことがわかっているからです。
 そのために、藩では文化12年に、濃茶茶碗に似せた茶碗の製造を禁止する法令を出しています。同時に大道土の民間での使用も禁止されました。この「偽物」、江戸後期の物とはいえ、現代から遡ること約200年前に作られた物なので、茶碗自体に古さがあり、時代の推定がとても難しくなっています。なので、古萩を鑑定するときは時代や土だけではなく、作品自体の出来がとても重要となってくるわけです。

 古萩の鑑定において、もうひとつ気をつけねばならないのが、識箱の存在です。今でこそ茶碗には専用の箱が付き、作者の署名や時には銘も墨書きされますが、当時、このような習慣はありませんでした。
 なので、古萩は箱なしの状態で発見されるものがほとんどで、これに新しい箱を仕立てて、坂窯などの名門に鑑定を依頼された物も多く見られます。そして古萩と鑑定され、箱にその鑑定結果が書かれるわけですが、そういった識箱のついた茶碗の中にも、かなりの数で首をひねりたくなる物が存在します。
 これは今では知る人も少なくなった話ですが、かつて十一代坂高麗左衛門の時代に、「偽坂高麗左衛門」と呼ばれた人物がいて、彼は十一代高麗左衛門とよく似た字で、古萩の偽物に箱書きをつけていた、ということがあったのです。
……③へ続く。

2023年08月15日